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▼ 源義経 人物(奥州藤原一族と家臣編)
[ 日本史 ]
今回は義経にとって第二の故郷ともなる奥州・平泉の

人物についてピックアップ。

実際の史実と大河ドラマでの活躍ぶりを比較するのも

おもしろうござるよ。


奥州藤原氏

京の都から関東に住み付いた藤原一門の流れをくんでいる。


藤原秀郷・・・・・略・・・・・頼遠−経清−清衡−家清
                          |
                          −基衡−秀衡*
      −国衡
*秀衡−|
      −泰衡−時衡
     |
      −忠衡
     |
      −通衡
     |
      −頼衡



藤原秀衡…奥州藤原氏三代目。鎮守府将軍。
       彼の時代には奥州平泉は京の朝廷とは別の国のような
       繁栄があった。
       その勢力は北は津軽まで、南は白河付近まであった。
       彼の前では陸奥守・出羽守もほとんど傀儡に等しい。
       父・基衡の時代の陸奥守・藤原基成の娘を正妻とし、
       嫡男・泰衡と忠衡がうまれる。


       義父・基成の提案で源義朝の忘れ形見遮那王を平泉にて
       匿うことになるが、秀衡本人は反対していたという。
       河内源氏には前九年の役の折、源頼義によって曽祖父・
       経清を鋸斬殺されている過去もある。
       だが、義経の成長と共に彼の資質に惹かれる物を感じ、
       自分の子息にはない物を兼ね備えている義経に愛情を
       注ぐようになった。


       平家追討に参加したい義経を当初は引き止めたが、無理に
       止める事もできない事態になり、秀衡は佐藤継信・忠信兄弟
       以下80騎を義経に与えて送り出した。
       (無事黄瀬川にたどり着いた時は17騎になったとか…)
       中立の立場を取る以上、それ以上の兵力は出せなかった。


       後年、頼朝と不和になった義経を再び平泉に匿い、鎌倉方には
       義経を引き渡す事はしないが、一方で恭順する態度もみせている。
       しかし、鎌倉に絶大な政治権力を握った頼朝から『都に送る
       物資は鎌倉を通すよう』との圧力を加えられ、さすがの秀衡も
       これには断固拒否。
       義経を大将として奥州の兵士を増強し、鎌倉と互角に渡り歩く
       姿勢を示す中、秀衡は病没した。(55〜65歳)



藤原泰衡…兄に国衡がいるが、泰衡の母が前陸奥守の娘なので嫡男に。
       強靭な体力と武力が取り柄の庶兄・国衡とは仲が悪かった。
       父の存在が大き過ぎた為、ほとんど隠れた存在となる。


       1187年に父・秀衡が亡くなった後、家督を継ぐ。
       この辺りから鎌倉の義経引渡し要求がエスカレートしていき、
       泰衡自身も義経を匿うが、1189年には朝廷から義経追討令が
       届き、これに屈して義経を追討する。
       この時、対立した弟・忠衡も斬殺した。

   
       義経追討後、鎌倉に義経の首級を届けるが頼朝は朝廷に義経を
       匿った理由で奥州藤原氏追討令も申請する。しかし、朝廷はこれを
       却下した。
       頼朝は独自に奥州出兵を決意し、20万騎を従えて進撃開始。
       理由は無断で義経を討った事となっいてる。
       (鎌倉方としては生きて引き渡す事が要望だった)


       これに対抗して泰衡は庶兄・国衡を総大将として阿津賀志山に
       前線を張り、泰衡自身は国府多賀城にて帯陣。
       だが、戦慣れした坂東武者と平和の時代が長かった奥州武者では
       戦いにならず撃退される。国衡も戦死してしまった。
       泰衡は戦わずして平泉まで退却し、自ら屋形に火を放って北へ逃亡。
       しかし、家臣の河田次郎に刺されて落命した。(35歳前後)


       戦わずして逃げたとあるが、人的被害を最小限にしたいという泰衡の
       配慮もあっての事であり、河田次郎に刺されたのも自分の首が頼朝に
       届けば、落武者狩りも少なくなるだろうという考えもあった。
       (現に泰衡の身体は討手の河田次郎と一緒に祀られている。)

       結果的には事実人的被害は最小限になっており、泰衡の嫡男・時衡は
       斬罪されたが、他の一族は流罪で赦免されている。



藤原国衡…秀衡の庶長子。
       武勇の誉れ高い武将であり、長子でありながら庶子扱いされて不遇な
       生活を送っていた。
       年若い義経に武勇剣術と乗馬を鍛錬した人物ともされている。
       後年、平家追討での義経の活躍ぶりにかなり喜んでいたらしい。


       泰衡の義経追討策には断固反対しており、彼自身は追討に参加して
       いない。だが、時代の流れを読む力もあるので泰衡の行動には理解も
       示していた。
       頼朝軍の大軍と阿津賀志山にて対陣し、2万人で3日間戦いつづけたが
       善戦むなしく、和田義盛軍と畠山重忠軍に攻められて戦死した。

       年齢不詳だが、泰衡より5歳以上だといわれている。




藤原忠衡…秀衡の3男。 泰衡の同母弟。
       幼少の頃より義経と仲が良く、兄・泰衡の義経追討に断固反対する。
       追討の折に泰衡に斬殺された。(22〜30歳)



     ここからは義経家臣四天王とよばれた面々を紹介。


佐藤継信…奥州藤原氏家臣・佐藤基治の3男。
       現在の福島県飯坂付近の豪族らしい。

       義経出陣の時、秀衡の命で弟・忠信と家臣になった。
       常に義経のサポート役を果たし、屋島の戦いでは平家一番の猛将・
       平教経の矢から義経を守護するために身を挺し、矢に当たり戦死する。
       (27歳)


佐藤忠信…奥州藤原氏家臣・佐藤基治の4男。
       兄・継信と共に義経の家臣となり義経家臣四天王の一人になる。
       壇ノ浦まで戦い抜き、腰越での出来事の後は京都帰還後での鎌倉方の
       追っ手・土佐坊昌俊の奇襲を義経と共に撃退。
       その後は義経熊野潜伏の時、追っ手の北条時政の軍に斬りこんでいき
       義経一行の危機脱出を助けたが、彼は斬死してしまう。(25歳)



武蔵坊弁慶…熊野別当湛増の子。(と、いわれている)
         湛増の母は源為義の娘なので本当ならば義経とは血縁にあたる。
        幼名は鬼若と呼ばれかなりの悪童らしく、湛増によって比叡山に
        入れられた。しかしここでも乱暴すぎて追い出されてしまい、自ら剃髪し
        武蔵坊弁慶と名乗るようになる。
        その後は播磨国に行くがそこでも乱暴狼藉を働き、書写山の堂塔を
        炎上させた。

     
        都に戻った弁慶は五条大橋で太刀千本を集める願掛けを行ない、道行く
        人々の太刀を強引に奪って行った。そして千本目の太刀となる日に現れた
        のが牛若(遮那王)であり、身軽な立ち居振舞いに完敗。
        これまでの横暴非道を悔い改める約束で義経家臣として加わった。
        義経にとっては未知の国となる陸奥での生活・そして平家追討の進撃での
        弁慶の付き従いはとても力となった。
        

        頼朝と不和になり、京を追われて陸奥に落ち延びる折、途中の安宅関では
        見咎められる。弁慶は白紙の勧進帳を読み上げ、疑われた義経を自らの
        金剛杖で打ち据えた。守護・富樫氏は弁慶の嘘を見破りながら、その心情を
        思い、あえて騙されて義経一行は無事に関を越えて陸奥に辿り付く。


        秀衡死後、鎌倉や朝廷からの義経追討令により義経主従を匿えなくなった
        泰衡は、義経の住む衣川館に襲った。多数の敵勢を相手に弁慶は、義経を
        守って堂の入口に立って薙刀を振るって戦い、雨の様な敵の矢を受けて
        仁王立ちのまま亡くなった。

       (史実的には義経都落ちのあたりから弁慶の名前が出てくる)


       補足として熊野別当湛増について。

       彼の存在をなくして平家物語は語れないほどの重要人物である。
       まともに書くと凄く大変なので箇条書きにて。

       1.熊野に来た行家の持参する平家追討令旨を平清盛に密告した。

         湛増は熊野本宮、行家は新宮なので熊野同士の対立もあった。
         ドラマでも熊野に来た行家をエピソードに出していてが、令旨の
         存在が清盛に伝わる部分が省略されたのが残念である。


       2.1181年に熊野水軍を率いて平家方に宣戦した。

          時代の流れが源氏に傾くのを悟った湛増は平家に反乱した。


       3.1185年の壇ノ浦の戦いでは源氏方の水軍として平家を倒した。



伊勢三郎義盛…伊勢国の出身。義経が鞍馬山を出て平泉へ向かう途中でその
          家来となったとされる。
          屋島の戦いでは、義経の別働隊として少数精鋭の軍を率いて
          2000騎近い平家の大軍を降伏させた実力の持ち主。
          義経の都落ちの折、主従とはぐれてしまい鎌倉方の追捕に
          捕まり処刑された。(年齢不詳)

          (ドラマではどうなるかわかりません…)


ドラマに出ている他の家臣、駿河次郎とか喜三太は史実では不明です。
author : とらすけ | 01:59 | comments(8) | trackbacks(0) |


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