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▼ 源義経 人物(鎌倉御家人続編)
[ 日本史 ]
大河ドラマ義経も上洛直前まで話がすすんできた。
そして、鎌倉御家人も何人かカギとなる人物が出て
きているので、自分のブログ検索リストもほとんど
北条氏か源氏・藤原氏、梶原氏とか占めているので
ここで続編を編集することにした。
(一部分は前作を移植している)

 鎌倉御家人

梶原景時  1140−1200

桓武平氏の流れを組んでおり、正式には『平景時』と呼ばれていた。
武士としては教養も深く、武家百人一首にも彼の和歌が選出されている。
石橋山の戦いでは平氏側として大庭景親と共に頼朝軍と戦い戦勝するが、
大庭とは仲が良くない部分と、平家の治世に見限りをつけていたので源氏の
嫡流である頼朝を逃す事により今後の縁を築こうと図った。
結果としては頼朝が関東平定に成功した事で景時の地位もぐんと向上した。


頼朝に登用されてからは他の御家人を監視、粛清する役目が多く、特に
目立つのは房総半島で2万騎をもって頼朝に参陣した上総広常を謀殺、
幕府発足後には頼朝異母弟・範頼を謹慎先の伊豆修善寺にて謀殺した。


平家追討の折には軍監として参陣。この時に戦術の意見違いで義経と反目。
これを鎌倉に讒言した事により、頼朝と義経兄弟の仲が修復不可能と言われ
ている。
事実この件も関係あるのだが、本当の兄弟仲違いの理由は後白河法皇に
よる人臣操縦力のしたたかさである。
頼朝は義経上洛事前に朝廷に鎌倉武士への直接任官を断っており、それを
逆手に取った後白河法皇が義経に半ば強制的に検非違使に任官した事が
兄弟反目の理由となっている。
(20歳後半の青年が法皇の目の前で任官拒否は普通出来ないよなぁ…)


このように人々をおとしめていった彼自身にも不幸が訪れる…
頼朝が亡くなり、2代頼家の補佐役となった。
そこでも頼朝の威光を盾として轟然と振舞うが、1199年に結城朝光を頼家に
讒訴するが、日頃から景時を良く思わなかった三浦義村・和田義盛をはじめ
鎌倉御家人66人の署名により、景時鎌倉追放が決定された。
そして鎌倉を追放された景時は駿河国付近で北条義時の差し向けた刺客に
よって斬殺された。


梶原景季 1162−1200

景時の嫡男。
武勇では弓が優れており、鎌倉武士の中でも指折り数えるほどの使い手だった。
とくに有名な話では木曽義仲追討戦での宇治川先陣争い。


景季は頼朝から名馬「磨墨」を与えられ、佐々木4兄弟の末子・高綱は「生月」を
与えられていることから、この2人は頼朝から信頼を得ている武士と思われる。
いざ宇治川を渡る先陣争いの場では、最初は景季が優勢だったが途中で高綱が
「梶原殿、馬の腹帯が緩んでますぞ。それでは敵陣に着く頃に外れる恐れがあり
もうそう。」と、景季に馬具の修正をさせている合間に出し抜いて高綱が先陣
一番乗りを果たしたのは有名。
(自分の高校時代の友人は景季の子孫でこの話をとても悔しがってました)


その後も平家追討戦で戦いを重ねて行き、中でも一の谷の戦いでは箙に梅の花を
挿して奮戦する姿には雅さが表され、敵味方から問わず賛辞の声が出た。


鎌倉幕府発足後は地位を得ていたが、父・景時が御家人66人連判状をつき
つけられて失脚したのと同時に景季も失脚。
一度は鎌倉・梶原の地に戻っていたが甲斐源氏・武田有義を将軍にと各策する
景時とともに上洛したが、北条氏の討手により三河国付近で斬死した。


この時、梶原一族は滅亡したと思われたが景時次男の子供が鎌倉幕府に復帰して
仕え、景時三男の子孫は三河付近で明治維新を迎えたといわれている。



和田義盛   1147−1213

三浦一族の出身なので平氏である。『平義盛』が本名。
頼朝挙兵から参陣しており、武勇豪胆強力の持ち主といわれており、関東平定
の後には軍務を束ねる侍所別当(長官)を任じられた。
平家追討・奥州討伐でも軍功を挙げている。
頼朝死後は2代将軍頼家を見限り北条氏につくが、義盛の武力と勢力拡大を
恐れた北条氏は逆に義盛が謀反するよう挑発して戦を勃発させた。
和田合戦といわれるこの戦、最初は和田氏が優勢だったのたが、和田氏の
本家筋である三浦氏が北条氏に傾いたので義盛はじめ和田一族は敗死した。

この後、侍所は執権が兼務することになり北条氏は文武両方で最高職位を
世襲していくことになった。


佐々木4兄弟

長男・定綱  1142−1205

近江・佐々木庄の出身。平治の乱で源義朝に従った父・秀義が関東に敗走し
たので共に関東に移り住んだ。
以仁王の令旨をうけて挙兵した頼朝に従い参陣。富士川の戦いの論功で近江の
本領安堵される。
その後も戦歴を積み重ねて近江、長門、石見、隠岐の守護職を歴任。
1191年には本領・佐々木で延暦寺と諍いを起こし刃傷事件になり、薩摩国に
流刑されたが、1192年に赦免され近江守護職に復職した。
その後も幕府で重きをなし、従五位下左衛門尉に任官。1205年に亡くなった。


次男・経高  ????−1221

近江・佐々木庄の出身。平治の乱で源義朝に従った父・秀義が関東に敗走し
たので共に関東に移り住んだ。
以仁王の令旨をうけて挙兵した頼朝に従い参陣。富士川の戦いの論功で近江の
本領安堵される。
その後も戦歴を積み重ねて淡路、阿波、土佐三ヶ国の守護職に任じられた。

源氏の将軍が途絶えて承久の変が勃発。経高は後鳥羽上皇の官軍に属したので
敗戦。北条泰時の目前で自害して果てた。


三男・盛綱  生没年不詳

1166年あたりに頼朝に仕えたと言われている。
平家追討作戦では源範頼に従っていた。
藤戸海峡合戦の折には漁師・与助から敵陣に渡りやすい浅瀬を教えてもらうが
その逆に敵からの襲撃もあると恐れて与助を船の上で切り殺してしまう。
そして盛綱は浅瀬を馬で渡り先陣して敵を敗走させた。
そのことを知った与助の母親はとても悲しみそして盛綱を憎み「佐々木といえば
笹まで憎い」と山の中の笹の葉をすべて毟り取って悲嘆のうちに亡くなるという
笹無山の日本悲話は有名。
後日、備前児島を賜った盛綱は戦功に高く貢献した与助の供養の為に大法要を
行なった。


四男・高綱  1160−1214

当初は京に住んでいたが、頼朝挙兵の際には兄達とともに参陣した。
平家追討戦を歴戦し、梶原景季との宇治川先陣争いは有名。景季が頼朝から
名馬「磨墨」を与えられたのを見て、高綱も頼朝に名馬を所望して「生月」を
授けられた。その手前もあるので宇治川先陣は景季に負けられない気持ちが
強まって「腹帯事件」をおこしたのであると推測される。
(景季の揺るんだ腹帯・・・高綱が刀でキズをつけて緩めた説もあるので)

その後は長門、備前の守護へと任ぜられるが1195年に家督を息子に譲り
高綱は出家して諸国を巡り歩いた。 


三浦義澄  1127−1200

相模国三浦の豪族・三浦義明の次男。義明の娘は源義朝の子供・義平がいる
ので源氏とは縁が強い。
1160年の平治の乱では源義平に従い上洛したが、敗戦したので相模に
戻った。
頼朝挙兵の折に参陣しようとしたが、大雨で軍隊が進まないうえに三浦に
戻る事も出来なくなり、父・義明は篭城戦で討ち死にした。
その後も一の谷・壇ノ浦・奥州征伐と参陣して武功を挙げ、鎌倉御家人の
重鎮となり、頼朝死後は13人の合議制の一人となるが梶原景時討伐直後に
病で亡くなった。


三浦義村  ????−1239

三浦義澄の嫡男。父と共に鎌倉幕府発足の重要人物となる。
しかしかなり腹黒い人物なので…自分は好かない。

<御家人粛清>
梶原追討や畠山重忠追討で中心的人物となった。

<和田合戦>
北条氏の勢いに歯止めをかけたい和田義盛と共に打倒北条を各策したが
土壇場で和田義盛を裏切り北条方についた。
一度は優位だった和田一族も義村の裏切り行為で全滅。

<将軍暗殺>
3代将軍実朝暗殺事件では、犯人の公暁が乳母夫である義村に救いを求めて
きたが、義村は謀殺した。
このことから実朝暗殺事件の黒幕は北条義時と三浦義村といわれている。

<承久の変>
後鳥羽上皇の近臣だった弟・胤義から鎌倉幕府打倒の決起を促されたが義村は
北条義時に知らせ、鎌倉軍の将として弟と対陣し撃破した。

<執権後継者争い>
義時変死後に義時の弟・政村と義時嫡男・泰時の争いでは政村方から誘われたが
北条政子の薦めで泰時の執権就任に尽力し、後日には御成敗式目制定に携わった。




author : とらすけ | 10:37 | comments(2) | trackbacks(0) |


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